2015年1月30日金曜日

「良心」

ちょっと、真面目な話。


良心をもって行動するとか、人の良心を感じとるとか、前よりももっと、重要度が高くなってきました。


昔は、今よりもギラギラしていて、悪気ない損得で動いていたところもあったから、人の手を借りるたびに「感謝しなきゃ」なんて、思っていた。自分の儲けになるかならないかで世界をみているとそうなるんだよね。とても孤独で、共存とは間逆の世界だったよ。

だけど心変わりをするもので、いつからか、感謝しなきゃと思っているうちは不完全だなって感じるようになったの。欲しいものが手に入ったかと思えばするりと抜けてしまう。所詮、そんな世界。

いい環境で育ってきたせいか、世の中には悪いオトナがいることを根本的に知らなくて、下心を持って近づいてくる人の発想とかもよく分からなくて、こういう類の人間がいるんだってことを、チョット痛い思いをしてやっと理解したよね。笑

悪いオトナや下心のあるオトナは、自己都合でしか動かないでしょ。それに比べて良心のあるオトナは都合じゃない。困った人が目の前にいれば助ける、楽しいことがあれば共有するっていう、すごくすごく、シンプルなことをしているだけ。

幼少期は商店街で過ごしたんだけど、家族親戚だけじゃなくて近所のおじさんおばさんたちも、そうしてくれていたなぁって、良心を持つ人に出会うと、原風景に戻るような気持ちになっていく。良心に触れると、感謝しなきゃじゃなくて、自然と感謝できてしまう。そういう感情で関わる人間関係は、物凄く豊かだと思う。ただ、豊かじゃないってことがどんなものかを知っているから豊かである感性が分かる。対比がなければ実感できなかったから、多少壮絶ではあったけど、どれも無駄ではなかった。



今日は、雨ですね。

























2015年1月27日火曜日

大人の階段

最近、竹内まりやさんの「カムフラージュ」を聴いたり歌ったりするのにハマっています。大人のLOVE SONGだよね。

そういえば、ずっと大人に憧れを抱いて生きてきたの。その理由には人生初の失恋が影響しています。

4歳か5歳の頃に初めて好きになった人は父親の友人。会うたびに嬉しくてどきどきして、いっぱい遊んでくれたし可愛い可愛いって言ってくれるからてっきりラブラブだと思っていたら、ある日、その人が婚約者を連れてきたんだよね。超ショック受けたのを覚えてる。もしも私が子供じゃなかったら結婚出来たかもしれないのに‼︎ って思って、その時から年齢がコンプレックスで仕方なかったのです。

どうやら、子供のときから地に足のついた大人の男性が好きだったみたい。小中学校に恋愛対象なんていないから無理して好きな人をつくっていた時期もあった。それで、デビューして恋愛の歌を歌うようになったんだけど大した恋愛経験もないわけだから表現しようにも実体験が伴っていないものを表現出来ず、悔しい想いをしていました。

20代になって職業柄できなかった恋愛禁止も解禁されたし、やっと理想の恋愛が出来ると期待したんだけど、まだまだ試練はつづく。年齢的には大人なんだけど若くて可愛い子と遊びたいってモチベーションの人がたくさん来ちゃって人間不信になりそうだった。(てゆうか完全になっていた。)


今振り返ると年齢と経験の壁がいつも立ちはだかっていた。複雑な気持ちがあった。好きな人がまだ若い私のことなんか相手にしてくれるのかなってよく思っていた。乗り越えたのはここ1年ぐらいのこと。

やはり、年齢による経験が解決してくれたような気がしている。出会いも変わっていった。前よりももっと落ち着いた、実のある出会いに。きちんと扱ってもらえるようになったよね。尊重も尊敬もされる機会が増えていった。

歳を重ねるのが嫌だって女の人は沢山いるだろうけど、私の場合は人生前半に堪えた時間があったおかげで、歳を重ねるって快感。今日より明日、明日よりも明後日、大人になるのがスペシャルな出来事です。 


大切に登りたいと思います。
大人の階段。


 









2015年1月25日日曜日

脱皮年

マズイなと思った。


「あなたとずっと一緒がいいの」 


なんてごくごく通常の感情を表現出来なくなっていた。昔は言えたのに。純粋な目でなにひとつ曇りのない気持ちで言えたのに。いったいいつから言えなくなってしまったんだろう。遡ってみたら言えなくなって、5年ぐらいの月日が経過していた。ひとりの人を好きになるってここまで命がけの行動なんだってこと、喪失の余韻とともに知った。笑ってきたけれど身体は笑えていなかったのです。深層部分に火山のマグマのようなものを、抱えて。

もう大丈夫って何度も確認したはずだったけどな。


あれから傷をみないように隠して隠して建て前の発言をして建て前の生き方を選んできた。被せるようにつくりあげたものだらけ、生活が迷子状態だった。未来に進むときには過去に遡るような経験をする。ボタンの掛け違えを、今はしっかり見つめる、タイミング。

動物的なんだろうか、輝きたいとすごく思っている。傷でも毒でもなんでもいいから受け入れてちからに変えて、そろそろ脱皮です。今年は脱皮YEARかも。


子供のころの写真、みつけた。
目ヂカラ、キラリ。











2015年1月23日金曜日

生存本能

いいようなわるいような、なんともいえない運気。今日は一日中「子供産みたい」と「勝ちたい」の気持ちがグルグルした。目の前にピンチがあると、ああ、生き残りたいなって感じて、生存本能なのか、子供を産みたくなります(笑)

勝負の世界が好きなんだって久しぶりに思いだした。モデルの仕事するために拠点を移したのに、オーディション落ち続けてまだ仕事になっていなくて、内心、東京に勝ちにきたのになにやってるんだろうって思っている。この地に爪跡を残しにきたのに!
 
勝ちモチベーションって、私好きで、地方出身で東京に来ている人たちの根底にはあると思ってるんだよね。東京出身の友達にはまだなんか余裕があるように見える。東京出身の余裕な感じも好きだし、地方出身の感じもわるくないなって。つまりは、どちらも好き。

そういえば、カウンセリングのクライアントちゃんで鬱の子がいて、地方出身だったしそろそろ抜けるかなと思った頃に、言ってみたことがあった。「東京に爪跡を残しに来たんじゃないんでしょうか。もしかして、負けて田舎に帰るんですか。」って。そうしたら「やります!」って言ってなんかすごい勢いでスイッチ入ってもう来なくなってしまった。あれはあれで、おもしろかったな。 

男子みたいなことを言うと、年々、モテたい欲求が高まっている。昔はそこまでモテたいなんて思わなかったけど、今はとってもモテたい。女としても人間としてもモテたい。好きなタイプの異性に魅力的だと感じてもらうのは、この上ない幸せだよね。あの蜜の味を知るといいよね。30歳近くなってくると持って生まれたものだけではモテなくなってくるから、どれだけ自分を磨いたかで手に入る幸せが変わってくるんだよね。自分を磨くと幸せを選べるようになってくる。10代の頃から、30代以降が楽しみで仕方なかった。若くて可愛ければ誰でもモテちゃう年齢は工夫できなくてつまらなかった。あのころから、頭ひとつ抜けたい願望が強かったんだろうな。実際、すごく研究したよね。男の子にモテるためにはどうしたらいいのかリサーチしてよく考えていた。女版のモテ本、書けそうだよ。


目の前の課題、仕事モテ。

振り返ると人生で一度も仕事モテをしたことがないかも。あるはあるけどなんかしっくりこなかった。なんかね、気持ちいいモテかたじゃなかった。

モヤモヤと惨めさを味わい続けたらきっと腹が括れる。曇りの日だって、あっていい。

 




















2015年1月22日木曜日

もう、家に帰ろう

FBで誰かがシェアしていたニュースを読んで妙に納得。離婚直後の男性が綴った結婚生活を円満に送るためのアドバイス。http://rocketnews24.com/2013/08/28/362589/


とっても重要なのでパートナーがいる方はぜひ読むのをオススメします。(もちろん、いない方もね!)
これが中々できないから好きになっても別れちゃうんだよね。。


愛する人と一緒にいるために別れやすいパターンを知っておくといいなって最近は真剣に考えています。嫌いになって別れるんじゃなくて愛したまま別れるパターンをやってきてしまって、そのたびに心も身体も生活全域ボロボロになってきて、相手にもいやな想いさせてしまうし、もうホントごめんって思うんだけど。だけど、そのぐらい全力で失敗しなければ当時は学べなかったんだと思う。

こうしたら傷つけるんだとか安心出来ないんだとか、失敗により男女関係のタブーが前よりも分かってきたから、今の私が彼女になれたらもっともっと心地よい環境を提供できたはず。なんだけど、振り返ったときに彼はいない。


自業自得。。


言い訳がましいけど若かったというのはある。20代前半の恋はジェットコースターみたいにとにかく元気だった。刺激を恋愛に求めているうちは、やはり、付き合ったり別れたりするんですよね。どうしてそうなのかなんて言葉ではうまく言えないんだけど、そういうものなんだよね。

さすがにもう恋はジェットコースターじゃないし刺激もあまり必要じゃない。外に出発していきたいエネルギーを昔は感じていたけれど、今は、家に帰りたいみたいなエネルギーが強くなってきている。料理したりお掃除したり歯磨きしたりお風呂に入ったり、そういう時間が大切でどんどん好きになってきた。メイクアップして遊びに行くのも、たまにはいいけれど、たまにじゃないと疲れる。やっぱり大事なものが刺激ではなくなってきた。


話はかわって、好きな写真集がある。
フォトグラファーの藤代冥砂さんがモデルで奥様の田辺あゆみさんを撮影した

「もう、家に帰ろう」

なにげない生活の一コマの撮影記録。そこに思い返すように藤代さんの一言が添えてある。10年以上前に六本木の書店で発見して、なんだかオトナの世界だなあと感じたのを覚えている。去年、久しぶりに読んでみたらいつのまにか号泣していた。


刺激恋愛ジェットコースターに乗りながら、本当は胸の奥底で、生活感たっぷりの穏やかな愛を求めていた。そして、随分と近づいてきた感覚がある。








2015年1月21日水曜日

人と匂い

「隠れファンです」って言いながらこっそりとメッセージをくれる人がたまにいる。会ったことのある人も、ない人も。「隠れなくていいよ」って返信しちゃうんだけど素直にうれしくて有難い。
 
なんだかんだやっていけてるのは、人の縁に恵まれているからでしょうね。これまで、あなたが居てくれなかったら今ごろどうなっていたんだろうと感じるような出会いと体験ばかりしてきました。隠れファンの存在もちからになっていて、あー、うまくいかないな、なんてときには、そういえば、隠れファンがみていてくれるんだっけ。と思いだして前を向いてる。

表現したり社交的な面をみせると「自信あるのね、つよいのね」なんて感じてもらうことがよくあるんだけど、じつは自信があるかないかでいったら平均点以下。きっと弱いから表現出来るのね。自信あるんじゃなくて、弱さに諦めを感じて投げやりになっているだけなんだけど。笑

ところで、私は言葉によって支えられる機会が多い。だから必然的にいい言葉を話す人たちと仲良くなる。去年だったかな。プレッシャーとストレスに押し潰されそうになった日、ある人が言ってくれた言葉をふと思いだしたんだ。

「どれだけ頑張っても、結局、他人には氷山の一角しかみえていないのが悲しいよね。氷山の一角をつくるためにベースの目にみえない部分を形成しているんだけど、氷山の一角が突き出す時期に差し掛からない限り、他人には言いたい放題言われてしまう」と、嘆いていたら「成功とは、昨日の自分よりも一歩でも前にでることで、人の評価を気にしていたら努力なんてし続けられない」って返ってきて、なんか、感動したのを覚えてる。美しい言葉だった。

これまで、完全にアイデンティティを社会に投げてしまっていたかもしれない。点数でしか物事を考えられなくなり、点数でしか自分のことも見られなくなってしまうような状態。だけど、幸せにはなれなかった。点数は二の次、追求すべきは中身だって感じる。「中身」とは、ほんの些細なことだよね。心の声に素直でいるの、まず大事ね。たとえば、疲れたときは匂いが欲しくなる。溺愛しているローラメルシェのボディクリーム、アンバーバニラ。甘くて深くて官能的な香り。

「うれしい」を集めるだけでいいんだと思うな。やっぱり、至福に包まれながら生きていたい。






2015年1月20日火曜日

濃厚

いちにちが濃くて一週間分ぐらい過ごした気分だった。上昇気流は濃厚で、不安定。


私はいい意味でも悪い意味でも風のようだから安定している人に惹かれるの。



惹かれている人、なみちゃん。








お世話になっているご夫妻にご馳走になったお蕎麦。代々木上原のおみせ。






マイペースに進めば、いいかな。






2015年1月18日日曜日

病みあがりDAY

昨夜、突然襲った体調不良によりお薬と一緒に部屋に閉じこもっている私です。まだクラクラするよーー。
救急外来に連れて行ってくれたお友達本当にありがとう。だけど正直あんまり記憶がないのです。順天堂病院の先生たちもやさしくて涙でそうだった。ただ、ありがとうって、それだけは覚えています。


急に生活環境変わると、くるよね。


10年以上東京と海外暮らしをちょこっとして、4ヶ月間実家暮らしをして、ついこのごろ、東京暮らしに戻ったんですけど、実家暮らし前と後とでは、言葉には言い表せない何かが確実に変わりました。

はじめはハングリー精神全開で上京してきましたから24歳ぐらいまで若さと勢いしかなかったと思う。今は勢いでなんかやろうとしても、出来ないっていうかもう身体が以前とは違っちゃってるんでしょうね。昔は戦闘モード全開だったはず。だけど今は戦闘モードが入らない。生きるって戦いじゃないですから。笑

そのかわりラブなことにテンションがあがるようになりました。歳を増すごとにどんどん加速していきます。  


前回のリアルな失恋ブログを書いてみて、やっぱり、恋愛が好き。恋愛が本業だな。なんて実感しちゃった。恋愛のことならいくらでも書けちゃう。私の彼が世界一って本気で信じて生きているのがいちばん自分らしくて、たのしいんだよね。ふだんは自信がなくて臆病でダメダメなのに、パートナーシップになったときには絶対的な自信があるの。あのちからは不思議なんです。

生活の変化にチューニング合わすの、もう少し時間がかかるみたい。ひとりでがんばっちゃおう的な戦闘モードに入っていたら、こんな日はすごく焦ったんだろうな。だけど今はなんとかなるじゃん、不安がないといったら嘘だけど、流れに身を委ねたら大丈夫かなって信じられる。

愛する愛されるって経験を家族以外の人と積んできたおかげで感じ方が変わってきたのかな。同じ世界を生きているはずなのに、感じ方が変わるのが日々、嬉しくて。愛ってすごい。って自信になるのだ。




2015年1月17日土曜日

恋を失うとき

最初は噛み合って心地よい速度で回転していた2人の歯車が瞬く間に崩れていく経験を何度かしました。意思というより流れで一緒になっているんだから意思の力じゃもう止められなくて、泣く泣く状況を受け入れてきた歴史があります。


恋を失うとき、
ついにこの日が来たんだなと思いながら冷静にはなれなかった。涙


夢のない話かもしれませんが、結婚願望が消滅しました。あのね、結婚願望じゃなくて「もう二度とあのようなつらい別れを経験したくないよね」の願望です。これを言うと結構な確率で共感されます。みんな同じような道を通るんだなぁ。だけどそれでもまた人を好きになるのが人間です。

何度か歯車を狂わせてみて、相手を傷つけ自分も傷つき、少しだけ学んできた気がします。歯車が狂ったのはつよがりのせいでした。つよがりが含まれた思いやりは、大抵の場合、裏目にでます。例えば、カレに心配かけちゃうから何でも自分で解決しようとするとかね。

長女(長男)あるあるです。

「お姉ちゃん(お兄ちゃん)なんだから」と言われて育っているので基本的に誰かを頼らずなんでも自分でやるものだと思っています。自己解決型。だけどこれを恋愛に持ち込むとミスるんですよ。相手に甘えて心を裸にしていかなきゃもともと他人同士なんだから分かり合えない。それがずっと出来なかったから何度も失ったのかなと思う。

あー、痛いな。自立をヘンな風に履き違えて間違ってきちゃった。本当に好きな人なら心配だって迷惑だって掛けて欲しいよね。それをされて嫌いになるような好きは好きじゃないよね、とか、今さら思うんだけど。

これからの目標は自立しないことかもしれません。自力でなにかするのは、ある程度までやったらオッケー。自力でなんでもやろうとしてきたけど、結果的に全然良くなかったです。自力をやりすぎると、他人のちからを頼ることが出来なくなります。恋愛以外で自力をつかっていると恋愛にも自力をしてしまって相手の立場がなくなるんですよね。相談しなきゃいけないところを相談するの忘れたり。傷つけようなんてしていないのに傷つけたりしちゃって。だから、強さも弱さも惨めさもぜんぶ、まずは近くの人から公開しようって、新年に誓いました。


恋愛ってむずかしいな。都合の悪いことばかり多発します。


それでも、都合のいい関係より、都合の悪い関係のほうが好きです。都合のいい関係って、魅力ないですよ。その場ではキラキラしてみえていても、やっぱり都合悪いのが人間同士。お互いを認めあえたり認めあえなかったりするその過程で得るものを、大事にしたくて、大好きでいたいなと思います。



写真は終わった恋の1シーン。 
私はいつもカレの右側だった。
 










2015年1月16日金曜日

モテキ

くるとは予想していたけれど徐々に幕開けしたモテキ。パワフルに動いているときより傷ついてるときのほうがモテるのなぜでしょう。笑

じつは、約9ヶ月間、冬の時代を過ごしていました。廃人のように死に切っていました。ボロボロになりました。傷をビリビリ破って脱皮して新しい世界にきたようです。まだ慣れませんが生活が一気に変わった。病み上がりのようによちよち歩いています。

これまでの人生のモテキを振り返ってみても大失恋で落ち込んだり傷ついた後に、まるでバブル時代のようにモテキが到来します。あれはなんだろうね。すごく質素でストイックな生活をすると、次には華やかな生活が待っていて、その繰り返しをしながら生きてるような気がします。

なんだかとても女子的です。
傷つくたびに、よしこれで綺麗になるぞ、この傷を魅力にするぞ、なんて思うのです。

もう20代後半なので馬鹿みたいな元気がでなくなってきました。落ち着いた人間関係と落ち着いた生活を、たのしみたいななんて思う、このごろ。


今日の私です。














2015年1月4日日曜日

NEW YEAR

新年がはじまりましたね。
みなさん元気ですか?


わたしは、新年早々、微妙に失恋しました。目のなかに入れても痛くないと思っている愛おしい人に「心が冷めた」と言われて絶望のドン底だったんですけど、これが絶望の底なのか、あとはあがるだけじゃんと思ったらなんか元気出てきて、一週間ぐらいずっと書けていなかったテスト文章書き上げてスッキリしちゃった。

わたしだけかな。本当に好きになると相手がどんな状態であろうと自分をどう思っていようとあんまり気にしないというか関係なくなっちゃうんですよね。このぐらいポジティブに強くないと強烈キャラの人、相手にできない。珍獣、猛獣系と対等にやり合うには体力要るんです。女にも屈しないつよさが必要。


ま、それは置いておいて。
年末年始、あんまりにも人と会わなさすぎて昨日言葉がでなくなって社会にでなきゃマズイと思ってファミレスにやってきました。生物的な危機感を感じた。笑


2015年は「無抵抗」がキーワードになりそうです。プランを練らずに来たものに対応する進め方が今の時代っぽいなと。そして今年は表現をいっぱいしたいなと思います。死ぬほど面倒くさくてコンプレックスな感受性を武器にしなきゃね、もうこれはやらないとね、生きていけそうにないです。文章を書くのもそうだし、歌ったり、被写体になったりも、やるのかな。これはご縁があった順にやります。


なにより自然体で、心にも体にも無理をせず、等身大の2015年を送ります。


今年もよろしくね!