2017年2月23日木曜日

理想主義

仕事が面白くなるのはこれからだ!と、実感した朝だった。

今日のような気持ちで働ける日をずっと待ち望んでいた。働くうえで、若さが邪魔だとずっと感じてきた。

20歳でセラピストになって、ショックだったのが、すぐに指名をもらったことだった。通常なら指名は嬉しいことなはずなのに私の気持ちは逆だった。まだ経験が浅くて上手くできるはずもない2日目とかで技術以外のところで評価されたのがつらかった。お客さんからしたら応援してくれてるのかもしれない。チャンスを与えてくれたのかもしれない。でも、応援を素直に受け取れなかった。そこからムキになってどうやったら腕があがるか考えていた。あの頃の指名は、多かったけど、9割以上、男性のお客さん。女性から指名されることはほとんどなかった。

「頑張ってるから応援したくなる」

というのは男性のお客さんに多い心理だと思う。若さ、ルックス、一生懸命、それは、男性からしたら嬉しい要素。でも職人はそんなところで評価されたらだめだと思ってた。やりたくてやってるんだから頑張るのは当たり前の話で、その先の違いにこそ、評価するべきポイントがあるとか考えていた。自分の仕事を芸術にしたかった。

何事もうまくいくまでは苦労と葛藤の連続でしかない。だけど諦めずにうまくいく自分のイメージに向かい続けると、いつの日か全てのピースが揃ったかのように完成の日がやってくる。

「できた!」っていう達成感。

その感動を知っているから失敗することも平気だし高い理想を諦められずにいる。更にまた、高い理想に向かいたくなる。

最近は女性向けにやっているんだけど、シビアな女性たちに、「応援」ではなく「評価」されるクオリティーがだせる自分になれたことがうれしすぎた。何年もかけて育てた甲斐があったんだ。

誰が真似しようとしても真似できないレベルの仕事がしたい。それでしか、自分自身を満たせない。

これからもっと理想のために生きるようになると思う。












2017年2月13日月曜日

ネットの誹謗中傷を初めて経験したのは、16歳で、そのときは大ショックを受けたのを覚えている。

世の中にそんなものがある事を知らなかった。

とても寛容な人達に囲まれて、寛容な街で育っていたから、嫉妬する文化とか、嫉妬の感情がわからなかった。

私は他人に嫉妬したことがほとんどない。

他人に嫉妬するぐらいなら行動を起こして自分を変えようとエネルギーをもっていくから、うまくいっている人の足を引っ張ったりする行動は生産性ないよねって感じで、よくわからない。うまくいってる人を見たら、必死で勉強してそのレベルについていくようにする。どうやって追いついて追い越せるのだろうかと考える。その行動を続けるだけで、今まで得てきたものはかなりあった。

私自身は嫉妬がよくわからないし他人を引きずり落とすような行動をしない人だけど、結構、やる人はいるので、どうやって対処していこうかと、考えてきた。

それで、考えたり悩んでいるうちはまだ自分のレベルがその人達と同じ階層にいるから考えるんだなというのがわかった。突き抜ければ、別に他人がどう思うかとか、どう見られるかなどは、重要事項ではなくなる。

何かやってると炎上するから超面倒くさくて何もしていないときもあったんだけど、そうすると、面白いことに何かやれよと文句言われたり炎上する事実もわかった。他人の評価はアテにならないと証明ができた。誰かに気にいられようとするのは疲れるし、無意味な時間なんだと。その確信がもてるまでに時間がかかった。

今、アテになるのは自分の直感だけ。

究極、仲間がいなくても褒められなくても認められなくてもいい。ただ自分が好きだからやるんだ、身体が勝手にやりだしてしまうんだというぐらい、直感がやりたいことをしていくのがいいと思ってる。

本当にいえるのは、迎合することに、なんの価値もなかった。




 

2017年2月2日木曜日

アウトロー

小学生の頃、授業中に漫画を読んでいたら先生に見つかって反省文を書きなさいと言われたので、「なんで漫画読んだごときで先生に怒られるのか意味不明!納得できる理由を説明してよね!」という内容の作文を提出したのを覚えている。


物心ついたときから、アウトローだった。既存の枠にハマるような感じではなかった。お転婆でじゃじゃ馬で、先生に目をつけられていたみたいで、席はいつも前のほうにさせられていた。


常識を信じなかったし大人も信じなかった。信じないのは防衛本能で、信じてしまったら自分の感覚を失ってしまう危険すら感じていた。ただそれと同時に自分の感覚も誰より長いこと疑ってきた。


直感で感じたことに裏付けが取れないと不安だったし、裏付けが取れるまで執着して考えつづけた。大人からいっぱい怒られてきて育つと、やはり、自信がもてなくなる。何度も自分の感覚は間違ってるんじゃないかと揺らぎながらなんとか保ってきたところもあった。


20歳を過ぎてから、インテリと仲良くなった。私達はお互いを面白がっていた。小学校や中学校、あまり記憶にない高校生活では出会えなかった仲間だった。突き抜けたインテリの中身はほとんど変態だった。


「直感でコレだ!と思う一瞬の閃きと、裏付けを何度もとって研究していって、コレだ!というのは、違うんだ」とインテリがいつか言っていて、私と同じ事考えてる!とうれしかった。


アウトローは基本的に孤独に育って我が道をいく。個人的には同じように考えていた仲間がいたんだ!という出会いが、ここまで生きてきて良かったなと感じるよろこびでもある。


小学生の頃に感じていた、漫画を読んで先生に怒られた時の違和感も長いこと考えつづけたらそれが何だったのか解明できた。


そもそも、大人が年下や子供に教えたがったり説教したがるのは本人が尊敬されたいとか認められたい感謝されたい気持ちからする行動なので内容は特に意味がないのだ。先生だからとか、大人だから尊敬するというのはちょっと危ない。心から尊敬しているから尊敬するし感謝しているから感謝するし、あのとき、授業が漫画よりも面白ければ間違いなく授業を聞いていただろう。漫画より授業に夢中にさせてくれるような先生でいてよね!と言いたかった。


私の勉強嫌いは、漫画より面白い授業がなかったから勉強する意味を見出せなかっただけだった。


勉強の面白さを知ったのは、20歳過ぎて、インテリの友達と遊びはじめてからだった。たしか25歳ぐらい、恵比寿のカレー屋である友達が日本史の解説をしてくれた時、興奮して涙がでそうになった。こんなに面白い先生に小学校で会いたかった!と叫んだ。


インテリは学問とはなにかを知っている。心から学問の面白さを知っていて体現している。徹夜で受験勉強をして暗記していたあのつまらない感じと、インテリが教えてくれた「知」は、本質的に別物だった。私は勉強にのめり込むように夢中になっていった。これから一生夢中になっていけるだろう。もっと知りたい、もっと学びたいと、意欲的でいられる。学ぶことには終わりがない。


アウトローでいていいんだと自分を肯定できたのはほんの最近。同じようにアウトローで生きている人達に何人も出会えたからだった。アウトローが社会で活躍して成功していくのをこの目で見たからだった。そうじゃなかったら、今頃は、まだ人とは違う感覚をもつ自分に悩んでいただろう。


アウトローはそのまま貫き通せば社会を変革するようなスーパーヒーローになれる。アウトローはアウトローにしかない人とは違うユニークな視点を独自にもっているから、


だからお願い。先生みたいに、怒らないで。

アウトローをそのままでいさせて。